人生詰んでも酒を飲む

生まれてこのかた、生きることを面倒に感じなかった瞬間はなかった。そんな僕もお酒を飲んだら元気になります。

吐露。

キーワード:自分語り、依存症、アルコール、アダルトチルドレン、AC、いじめ

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(「かわいいフリー素材集いらすとや」さんより拝借しました)


 こんにちは。詰んでる君です。新年の抱負を先のエントリーに記していたら筆がのってきたので、散漫な駄文を書き連ねたいと思います。

 

 ブログタイトルからも察することができるかと思いますが、僕は、最近自分がアルコール依存症予備軍なのではないかと疑っています。毎日のように酒を飲みます。日によっては、一日中酒を飲み続けています。朝飯と一緒にビール、昼飯にもビール。夕食には焼酎や日本酒、ウイスキーなどをチャンポンします。それで、知らぬ間に多量飲酒して寝てしまっていて、喉が渇いて目が覚めるとビールで喉を潤します。本当は潤いませんけれども。夕飯や真夜中になることには、酒が喉に突っかかるようになってきていますが、それでも飲みます。職場でこっそりと飲むこともあります。休憩時間など、人目の付かない処に行って、ビールをゴクリと。罪悪感があってもやめることができません。飲みたいのです。

 依存症は、人に頼れない人がなりやすいといいます。僕も人に頼れない人間なので、疫学研究などの対象になったら、確実にエビデンスの一部になります(これは、冗談です)。人に頼れないので、酒や薬に頼ります。酒なんか、どうせ飲み始めたらその時点で酒に飲まれています。たかが知れているものですが、それでもすがります。

依存対象はshort-term solutionに過ぎません。 これはドラッグについての歌ですが、本質は一緒です。

 

 よく、人を信じられない人は、親子関係がどうとか、学校でのいじめがどうこう言います。私もそれには漏れていないと思います。親には容姿やら、挙動不審であることやら、からかわれてきました。小学校でなんとなくなじめなさを感じて、中学校ではいじめられて、高校では虚無になっていました。まあ、今更どうでもいいのですが。どうでもいいといいながら、これらに対していまだに言及する以上、僕の無意識はこれらをどうでもいいとは思っていないようです。困ったなあ。

 とりあえず、これについて、誰かに責任を求めようとは思いもしません。親の気質はある程度歳がいってしまえば変えられませんから、仕方のないことです。多感な中学時代には、周りの生徒たちも家庭のことその他もろもろ、ストレスを抱えていたのでしょう。仕方のないことです。僕も、生まれつき授かった性向と能力だけを頼りにして子供時代をなんとか乗り切っていたのです。仕方のないことです。

 案外、努力で変えられることは少ないです。能力や気質なんてものは、遺伝の影響も大きいです。そこに環境の要因が加わると発現するタンパク質が変わって云々ですが、僕からすれば、遺伝子なんてものも環境に過ぎません。それどころか、自分の意志もコントロール不可能なので環境です。周りもみんな一緒です。だから、自罰的にも他罰的にもなりたくないです(新皮質の出した結論ですので、脳の古い部分が怒りや悲しみに震えていないかというと、それは僕にもわかりません。でも、すくなくとも新皮質の思考が僕を支配していたら、こんな記事は書きません)。

 

 さて、そんな僕ですが、意外にも人前に立つと、しきりに努力すると表明してみたりします。周囲との競争に加わっているように見せかけようとします。相手が間違っていると思っても、機嫌を損ねたくないのでとりあえず謝ります(心の中では笑いをこらえているときもあります)。自罰的に振舞ってみたりします。

 この記事やこれまで書いてきた記事につづっている僕本来の態度とこれらの自己開示はいささか矛盾しているように見えます。それにも関わらず、こういう風にふるまってしまうのは、きっと人を信じていないからでしょう。「隠れて生きよ」といって、痛みを最小限にして、競うことを嫌う姿を見せたら、きっとまわりは僕のことを、「なんて向こう見ずの愚か者なんだろう」とせせら笑うと思っています。相手の言うことを突っぱねてしまうと、相手から拒絶されると思っています。相手は、私のことを必ず下に見てくると思っているし、私自身、私の価値観は人並みに劣るものではないかと危惧を抱いています。相手が自分を受け入れてくれるなんて信頼を心からするに足る相手なんていないと思っているので、弱みは見せられません。このブログも匿名だから好き勝手書きますが、顔が割れていたら、ここに書き付けているようなことはみっともないので書かないと思います。

 

 新年早々、内省的なことを書いてしまいました。この問題は今後も触れていくと思います。とりあえず、今日はここまでにしておきます。今年は多少、我を通してみたいなあ。