人生詰んでも酒を飲む

生まれてこのかた、生きることを面倒に感じなかった瞬間はなかった。そんな僕もお酒を飲んだら元気になります。

自分のしたいこととは。

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こんにちは。詰んでる君です。僕はいま、人生の岐路に立たされています。

これまで設計していたキャリア計画がポシャりました。

そんなもの、何もしないでボーっとしていたら、すごく簡単に壊れるもので笑ってしまいます。

これまでの記事にもあったように、僕はかれこれひと月ほど引きこもっていました。そしたら、これまでやってきたことが無意味に思われてきたし、嫌気がさしていることに自分でも気が付いていきました。破滅の道を選んだのは一見無気力のたまもののように見えて、その方向に突き動かす無意識の力があったのかもしれません。

この破滅は僕にとっては却って望ましいことなのかもしれません。僕のこれまで志向していたキャリアというのが、自分の中の情熱を傾けるべき対象に見えなければ、手堅くお金を稼げるものでもありません。正直、僕の気質とも相性がよくないと思います。

 

僕は、ずっと過剰適応気味に生きてきました。周囲が期待していれば、自分のやりたいことなんて無視して建前でいきてきました。その結果、自分の本当にしたいことなんてわからなくなっていたのです。これまでのキャリア計画も、思えば子供の頃から言われ続けていた親の意向を大いに反映しています。また、周囲の人がその仕事に誇りをもって情熱を傾けていたことから、僕もそういう様子を演じなければ嘲笑されるのではないかだとか考えて、自分を偽って生きてきました。しかし、その代償が最近になって心身の不調として表れてきたのではないかと考えています。

このことは事情を知る当事者を除いては、親しい友人にも話していません。話す踏ん切りがついていないのです。僕は人を根源から信頼することができない身体なのでしょうか。こういう弱みを見せてしまうと、友人でさえ僕のことを軽蔑するような気がしてなりません。もちろん、これまでずっと支えてくれた友人たちがこんなことで去っていくのではないかという疑いを向けることは、僕自身としてもとても悲しいことです。もうちょっとして、吹っ切れたら、このことを打ち明けられればいいなあと願っています。

 

進んでしまった時を巻き戻すことは叶いません。これから、自分のしたいこととは何なのかを自問自答してみようと思います。自分にできることとは何なのかを探ってみたいと思います。多くの人が大学卒業時までに、それができているのに対して、僕の場合はそれが遅すぎたようです。しかし、これも、運命だとか僕の個性だと信じてみたいです。まずは、自分を受け入れ、自分の真意を相手に伝えられるようになってみたいです。なんだか、わくわくしてきました。